コミュニケーション能力を上げる方法
以前、ブログにコミュニケーション能力を上げるには、「相手のことを知ろうとする想像力」が重要だと説いたが、今回はそれをアップデートしてたい。
相手のことを知ろうとする想像力以前に、
「目の前にある事象に対して、自分なりの意見を明確に打ち出せるか」というフェーズがある。
例えばある人はサッカーの事が好きだと聞いてるが、自分には知識も興味もないとする。
すると仮にオリンピックで日本がベスト4で負けたニュースは知ってても、試合を見てるわけでもないので、その人と話す機会ができても「惜しかったね〜」以上の共感は出てこない。
これでは共感レベル0だ。
そこをしっかりと試合を見ていて
「あの30分の得点シーン、メキシコの選手達の連携の凄さを見たね!日本はまだまだ連携がたりてないよな〜」と自分の見解を交えて感想を伝えたら、そこに相手の熱い感想も返ってくるに違いない。
つまり、これは「共通言語」の確立の問題なのだ。
その事象に対して、「どれだけ熱く話せるかどうか」がその人との共感レベルを決める。
ここがポイントだと思う、
「Netflixなら誰よりも熱く語れる!」という人がいたら、「こないだヴィンチェンツォ観たよ!あの敵の憎らしさから、反撃する熱さが最高だよなー」と気軽に話しかけられるだろう。
この「共通言語を多く持ち、尚且つその共通項に対して自分なりの世界観から意見を切り出せるかどうか」がコミュニケーションの成否を決めていると言っても過言ではない。
社会不適合と言われる人の多くが、「人と共通言語を持てない」「自分なりの意見を言って否定されるのが怖い」という悩みを抱えているのは、ここが実態だからだろう。
結論
「森羅万象に関心を持とうとするマインドを持て」
「まずは周囲や会社の人が興味関心のある事を調べ尽くせ」
「それに対して、自分なりに熱く(面白く)語れるようになれ」
「自信がなくても勇気を持って語れ」
「そうする事で、周囲との共通言語が生まれ、共感レベル1になれる」
「さらに周囲を納得させる深い洞察ができれば、共感レベルが上がり、尊敬にも変わるうる。」
記憶力を上げる方法
池谷裕二先生の「記憶力を強くする(講談社 ブルーバックス)を読み、
記憶というものの仕組みを再発見する事ができた。
めちゃくちゃ簡単に結論を言うと、「夢中な時がMAXに記憶力が高い時」という事。
例えば学生時代、ぼーっとしながら興味のない先生の話を教室で聞いていても何も覚えていない経験をしたことがないだろうか。反対に、片思いをしている彼/彼女が皆の前で自己紹介をしていたら、趣味やマイブームまで全部覚えるどころか、彼/彼女がBTSが好きと言おうものなら、次の日から自分もBTSの曲を全曲てダウンロードして聴き始めたりして。
つまり人は自分の興味のある事は覚えて、それ以外は忘れてしまう生き物なのだ。
もう少し細かい話をすると、脳のシナプスが、受信した情報が重要かそうでないかを振り分けしている。
重要かそうでないかを判断する重要な要素がm脳の本能を司る扁桃体。
ここが活性化した状態であれば、その情報は「生きるために重要なもの」だと判断し、記憶していくのである。
先の例で言うと、好きな人の話は「覚えないと自分は彼/彼女と親しくなれないかも」と本能的に重要だと判断して、反対に先生の話は、「覚えなくてもまあいいや」くらいの認識で、重要でないと感じてしまうのである。
つまり、脳にとって最強の状態は、あらゆる事に興味を持ち、
「これを知りたい!」と扁桃体を活性化させて物事を捉えること。
そしてその情報を更に自分の中で昇華させ喜びを感じること。
人は歳をとってくると記憶力が弱くなるのではなく、感動することが減ってしまう。
そうすると、「あれなんだっけ?」という事が多くなってくる。
だから、人はアウトプットを増やし、人と話し、自分の興味関心をぶつけていかなくては、
いずれ何にも心が動かされず、何も思い出せず、最後は認知症のような病気を患ってしまう。
人は常にアウトプットしないと、「人として」死んでしまうのである。
ヴィンチェンツォを観て
いや、ドラマにハマってしまった!
ヴィンチェンツォ
大きくヴィンチェンツォの面白さを分解すると、
3つに分解できる
①心から憎むべき敵の存在
弱き人のために生きた弁護士である、ヒロインの父を殺害しただけでなく、死後に悪徳弁護士の汚名を着せるその所業はまさに半沢直樹の大和田常務もびっくりな悪役の極み。
ここで視聴者は物語に引き込まれる、
主人公と一緒に「こいつらをぶっ倒すところを観ないとすっきりしない!」とこの3話で心に誓う。
悪役達の、憎らしく時に恐ろしく、また時にはどこか憎めない演技も必見。
②シリアスな物語を和ませるコミカルな登場人物たち
脅迫、殺人、賄賂、薬物…ずっとシリアスな場面が続くこのドラマだが、毎話に必ずお笑いシーンが登場して空気を和ませてくれる。
特に6話で主人公の住むビルの変人たちと法廷を混乱させるシーンは、お笑いと謀略とが見事に融合し敵を倒す、痛快なエンタメを見せてくれている。
③ヴィンチェンツォの美しさ
このドラマを観たら、誰もがソンジュンぎの美しさに見惚れてしまうシーンが存在する。
透き通ったような白い肌に、美しい鼻筋。涼しげでありながらどこか可愛さを含んだ瞳に見つめられると、同じ性別でありながらも、美しい芸術品を見ているような感覚に陥ってしまう。
コミカルな要素とともに、血生臭いストーリーを緩和させる清涼剤の役割をソンジュンギが1人で果たしているところも必見である。
共感欲求、アンテナ欠如から脱却する方法
前回の記事で、コミュニケーションの向上の為には、
共感欲求と共感アンテナの欠如を克服することが必要だと書いた。
それでは何を行えば克服出来るのだろうか?
その1番のカギは…「共感の成功体験を積む」ことである。
はい、出ました。
小さな成功体験を積み上げるやつね。
よく聞く。毎日聞くよそれ。
そんな声が聞こえてきそうだが、実際に効果が1番ありそうなので仕方がない。
人間、「これやったら上手くいく」という成功体験があれば、他にも転用して生かせるのだ。
今まで仲良くなかったAさんとの間に共感が生まれたら、次はBさんと…と良いループが生まれていくのだ。
ただ、大事なのはHOWである。
そもそもの共感が全然うまく行かない人が共感放棄しているのであって、
成功できるなら初めからやってる。
どうやったら成功出来るのだ、というところが重要だ。
結論から言うと、「相手を知ること/知ろうとすること」である。
相手の事が分かれば、自分との共感しそうなところが分かってくる。
つまり共感アンテナが1本、2本と立ってくる。そして共感アンテナが立ってくると、
「この人と共感したい」という気持ちが出てくるのだ。
共感を諦めてしまった人が行えるリハビリは、「相手のことを知ろうとすること」以外にないだろう。
具体的には、
①コミュニケーションを取りたい相手がどんな生活をしていて、何に興味があるのかを把握する事
②その事に関して自分も知識を持ち、共感を得ること。
③それをあらゆる人相手に実践していくこと。
この2ステップである。
コミュニケーション能力って向上出来るの?
僕の人生の中で最も大きな課題の一つに思うことが、コミュニケーション能力だ。
日本人の平均からしたら自分が下位にいるとは思わないが、コミュニケーションの場で圧倒的な活躍をする知人を見る度に、羨ましく、憧れを抱く。
これは幼少の頃から、自分に運命づけられた習性のようにも思える。
たまに思うのが、「コミュニケーションの答えが全部見えたらいいのにな」という感覚。
わかってもらえる人はいるだろうか。
もちろん、コミュニケーションには正解がない。
だからこそ人によるばらつきが生まれ面白い、という要素は確実にある。
しかし、日々のコミュニケーションを行う中で、
「今なんと返答することが正解なのだろうか」と思い悩む時間のなんと多いことか。
時間の浪費だけでない、心理的ストレスも相まり、
これを自動操縦できればどんなに楽になるだろう…と思ってやまないものだ。
そう思ってしまうのは、きっとコミュニケーションに苦手意識を持つ人特有のものなのだろう。
そこで、今日はコミュニケーションの基本について考えてみた。
苦手なものでも、体系化して理解することで、思い悩む時間が減り、ストレスも少なくなることを願い。
2021年7月3日
◾️コミュニケーションは向上する?
かのウォーレンバフェットは、一番大切な投資は「自己投資」と言っていたらしい。
そしてその中でもコミュニケーション能力の向上に投資するのが最も良く、
コミュニケーション能力が人生の50%を左右するとまで言っていたようだ。
バフェットほどの才能を持ってしても、口下手な自分を変える事に計り知れない価値を見出していたことが読み取れる。
また、バフェット自身がコミュニケーションの課題を解決した証拠でもある。
どうやら希望はありそうだ。
しかしコミュニケーション能力はどうやって向上させれば良いのか?
非常に難しい問題だ。
今日はこの点を 、下記の順番で考えを進めていく
①コミュニケーションの目的
②目的を達成する為のハードル
③ハードルを越えるために必要なスキル
◾️コミュニケーションの目的
これは大雑把にいうと、「共感」であると僕は思う。
くだいて言えば「仲良くなる」という事。
アドラー心理学的にいうと、「共同体感覚」とも言えるかもしれない。
相手と打ち解け、心の中で熱い握手を交わす感覚、誰もが一度は経験があるのではないだろうか。
僕は人生の中で、これを感じた時に何よりも幸福感を感じる。
これは、人が社会的動物であるからなのだろう。
原始より、人が群れの中から排除されると生きていく事が出来なかった。
「自分は受け入れられている。自分はここに居ても良いのだ」という感覚を持った時に、人は最も強くなる。
これが承認欲求の根源だろう。
(アドラー的には比定されているが)
コミュニケーションは、この感覚を得ることを目的にしていると僕は考える。
◾️「共感」に至るまでのハードル
目的はなんとなく分かってきた。
人類全員がこの共感(心の深い握手)をする事ができれば、全員が幸せになれそうな気もする。
しかし、現実はそうはいかない。
会う人全員と熱い共感を得ることはないだろうし、世界でも紛争や人種差別の問題はなくならず、孤独に耐える人生を送っている人の何と多いことか。
何故人はすべての人とこの「共感」を感じることが出来ないのだろうか?
そのハードルは下記の2点にあると僕は考えている。
ハードル1:共感欲求、アンテナの欠如
ハードル2:想いを形にする能力の欠如
これだけだとわかりにくいので、下記に具体例を交えて解説していく。
◾️ハードル1:共感欲求、アンテナの欠如とは?
まずは超具体的な例から話しますが、
「共感を放棄した人」周りにいないだろうか?
(何なら僕はどちらかというと自分がこの部類に入ると思う。)
つまり「自分から積極的に人と会話せず、会話したとしてもそそくさと終わらせて深いところまでコミュニケーションを取らない人」
きっとあなたの周りでもそんな人が思いつくのではないだろうか。
しかし、もし前述の通り人間が社会的な動物で、共感を得たときに喜びを感じるのであれば、、これはちょっとおかしな話だ。
むしろ欲求と逆行するような行動をしている事になる。
では何故、この人たちはこのような行動を取るのだろうか?
それはコミュニケーションにはリスクがつきものだからである。
コミュニケーションの共感に至る為には、一定以上の深い自己開示をして、相手の深いところに切り込むような作業が必要になる。
その途中では相手に理解を得られなかったり、否定されたり、逆に相手の地雷を踏んでしまうような事も生じる。
つまり、共感は人間の最大の幸福でもあるが、逆にそこに至る道のりには、大きなリスクも孕んでいるのだ。
何人かで食事をしている時に、「スベったらつまらない奴と思われる」と考え、喋る事自体を放棄する事が僕はよくあるが…
これは、リスクを取らずに共感を放棄している行為だ。
そうして、あらゆる共感のチャンスを放棄していくうちに、
「自分には共感を得る事は無理だ」と諦める、共感放棄人間が生まれていくのである。
それが、共感欲求の欠如に繋がる。
そして、そこから更に生まれるものが共感アンテナの欠如だ。
「この人とこんな共感が出来そうだ」というアンテナが一切立たなくなり、
「何を話せば良いのかわからない」「人と仲良くなり方が分からない」という状態が生まれてしまう。
このように共感欲求が薄れ、共感アンテナが立たなくなると、
新しく人と仲良くしたり、共感を得る事がなくなっていき、人はどんどん孤独になっていく。
もしくは、既に形成された心地よい人間関係の中だけでだけしか生きられず、新しい価値観に触れにくい人生を送ることになる。
◾️ハードル2:想いを形にする能力の欠如
このハードルは、ハードル1に比べるとだいぶ低いものだ。
なにせ、共感の欲求やアンテナが健全であれば、相手に対するコミュニケーションの種が出来ているので、後はそれを表現するだけで良いのだから。
例えば会議の場で話を振られた時、
「そもそも話したい事がない/話したくない」という状態で話を振られると、、本気で困窮するが、
「これを話したい」という状態であれば、仮に伝える術が下手だとしても、
少なくとも自分の気持ち、意見が伝わり、共感が生まれる可能性がある。
後は表現技法、伝え方の技術を学ぶことで、この課題は既にゴールが見えています。
◾️解決策
2つのハードルをあげたが、特に第一ステップの共感欲求、アンテナの欠如が大きな問題だとわかりました。
それではこの「共感欲求、アンテナの欠如」という根本的問題をどう解決すべきなのか?
それはまた次の記事で書いていきます。
楽しく生きるために
記事投稿1回目。
普段なんとなく感じている楽しい人生について書いていきたいと思います。
楽しい人生とは何か?
その一つの答えは、「ドーパミンに溢れた人生」と言えると思います。
ドーパミンとは、一言で言うと「楽しい!」と感じることに出てくる脳内物質のこと。
例えばアスリートが「ゾーンに入る」という言葉を使いますが、これは脳内にドーパミンがダダ漏れしている状態です。
バスケットボールの神様マイケル・ジョーダンはゾーンを下記のような言葉で表現しています。
「試合中に周りの音が聞こえなくなり、自分の実力がフルに発揮できる精神状態。」
「具体的に言うと、自分の周囲の動きが全部スローモーションのように見える。
つまり、相手のディフェンスがゆっくりと動いているようにみえるので、当然、そのディフェンスを軽く抜くことが できる。」
(『マイケル・ジョーダン、ゾーンに入る』)
僕もバスケットボールをしますが、数度この感覚は味わったことがあります。
集中力が極限まで高まり、余計なことを一切考えずただただプレイを楽しむ、、本当に心から楽しい体験でした。
子供のころに外で虫取りをしたり、ゲームや漫画に熱中したりすると、時間が一瞬で過ぎるように感じませんでしたか?
これはまさにドーパミンに溢れている状態で、集中力が極限まで高まり、時間があっという間に過ぎたように感じるんです。
この素晴らしいドーパミンが毎日溢れる程出て「楽しい!」と感じる毎日が過ごせたらどんなに幸せでしょう。
ただ、ドーパミンの出やすさは人によって個人差があり、
同じ体験をしても、ドーパミンが出やすい人、出にくい人が存在します。
「自分は普段楽しいと感じることが少ないから、きっと出にくい人間なんだな…」
と思う方もいるかもしれません。しかし、しょぼんとする必要はありません!
脳には可塑性があるので、自分の脳をドーパミンが出やすく作り替えることが可能だからです。
一般的に言われることとしては、
下記のような習慣がドーパミンが出やすくなる方法と言われています。
・適度な運動
・(プチ)断食
・瞑想
これは数多くの論文で証明されており、ほぼ間違いなく効果がありそうです。
また脳神経科学の第一人者、青砥瑞人さんはドーパミンが出やすくなる為の方法で下記2点を示されています
①主体性を持つこと
主体的に何かを求める状態(=シーキング状態)でドーパミンが放出される
②「愛着」を持つ
オフィスの椅子やペン、仕事そのものに対する愛着を持つ事で、「快」な環境を作ることで、ドーパミンが生まれやすくなる。
https://workmill.jp/webzine/20200129_wmr01aoto.html
脳を訓練すれば、 誰でも主体的になれる ー 青砥瑞人さん
確かに、やらされ仕事と感じている時よりも、「あれをやりたい」「これをやろう」と主体的に仕事をしているほうが、仕事も楽しく生産性が上がりますし、
散らかった部屋にいるよりも、心地よいオフィスやカフェにいたりすると、集中したり、楽しく時間が過ごせそうですよね。
特に自分に主体性がないと感じている人が改善できれば、ドーパミンが出やすい脳へと大きく構造が変わるような予感がします。
まとめると、
②その為には、運動、断食、瞑想を習慣に加えて、主体性の確立、愛着のある空間づくりを意識しよう!
以上、本日の記事でした。