コミュニケーション能力って向上出来るの?

僕の人生の中で最も大きな課題の一つに思うことが、コミュニケーション能力だ。

日本人の平均からしたら自分が下位にいるとは思わないが、コミュニケーションの場で圧倒的な活躍をする知人を見る度に、羨ましく、憧れを抱く。

 

これは幼少の頃から、自分に運命づけられた習性のようにも思える。

 

 

たまに思うのが、「コミュニケーションの答えが全部見えたらいいのにな」という感覚。

わかってもらえる人はいるだろうか。

 

もちろん、コミュニケーションには正解がない。

だからこそ人によるばらつきが生まれ面白い、という要素は確実にある。

 

しかし、日々のコミュニケーションを行う中で、

「今なんと返答することが正解なのだろうか」と思い悩む時間のなんと多いことか。

時間の浪費だけでない、心理的ストレスも相まり、

これを自動操縦できればどんなに楽になるだろう…と思ってやまないものだ。

 

そう思ってしまうのは、きっとコミュニケーションに苦手意識を持つ人特有のものなのだろう。

 

 

そこで、今日はコミュニケーションの基本について考えてみた。

苦手なものでも、体系化して理解することで、思い悩む時間が減り、ストレスも少なくなることを願い。

 

2021年7月3日 

 

◾️コミュニケーションは向上する?

 

かのウォーレンバフェットは、一番大切な投資は「自己投資」と言っていたらしい。

そしてその中でもコミュニケーション能力の向上に投資するのが最も良く、

コミュニケーション能力が人生の50%を左右するとまで言っていたようだ。

 

バフェットほどの才能を持ってしても、口下手な自分を変える事に計り知れない価値を見出していたことが読み取れる。

 

また、バフェット自身がコミュニケーションの課題を解決した証拠でもある。

 

どうやら希望はありそうだ。

 

しかしコミュニケーション能力はどうやって向上させれば良いのか?

非常に難しい問題だ。

今日はこの点を 、下記の順番で考えを進めていく

 

①コミュニケーションの目的

②目的を達成する為のハードル

③ハードルを越えるために必要なスキル

 

◾️コミュニケーションの目的

これは大雑把にいうと、「共感」であると僕は思う。

くだいて言えば「仲良くなる」という事。

アドラー心理学的にいうと、「共同体感覚」とも言えるかもしれない。

 

相手と打ち解け、心の中で熱い握手を交わす感覚、誰もが一度は経験があるのではないだろうか。

僕は人生の中で、これを感じた時に何よりも幸福感を感じる。

 

 

これは、人が社会的動物であるからなのだろう。

原始より、人が群れの中から排除されると生きていく事が出来なかった。

「自分は受け入れられている。自分はここに居ても良いのだ」という感覚を持った時に、人は最も強くなる。

これが承認欲求の根源だろう。

アドラー的には比定されているが)

 

コミュニケーションは、この感覚を得ることを目的にしていると僕は考える。

 

◾️「共感」に至るまでのハードル

 

目的はなんとなく分かってきた。

人類全員がこの共感(心の深い握手)をする事ができれば、全員が幸せになれそうな気もする。

 

しかし、現実はそうはいかない。

会う人全員と熱い共感を得ることはないだろうし、世界でも紛争や人種差別の問題はなくならず、孤独に耐える人生を送っている人の何と多いことか。

 

何故人はすべての人とこの「共感」を感じることが出来ないのだろうか?

 

そのハードルは下記の2点にあると僕は考えている。

 

ハードル1:共感欲求、アンテナの欠如

ハードル2:想いを形にする能力の欠如

 

これだけだとわかりにくいので、下記に具体例を交えて解説していく。

 

◾️ハードル1:共感欲求、アンテナの欠如とは?

まずは超具体的な例から話しますが、

「共感を放棄した人」周りにいないだろうか?

 

(何なら僕はどちらかというと自分がこの部類に入ると思う。)

 

つまり「自分から積極的に人と会話せず、会話したとしてもそそくさと終わらせて深いところまでコミュニケーションを取らない人」

きっとあなたの周りでもそんな人が思いつくのではないだろうか。

 

しかし、もし前述の通り人間が社会的な動物で、共感を得たときに喜びを感じるのであれば、、これはちょっとおかしな話だ。

むしろ欲求と逆行するような行動をしている事になる。

 

では何故、この人たちはこのような行動を取るのだろうか?

 

それはコミュニケーションにはリスクがつきものだからである。

 

コミュニケーションの共感に至る為には、一定以上の深い自己開示をして、相手の深いところに切り込むような作業が必要になる。

 その途中では相手に理解を得られなかったり、否定されたり、逆に相手の地雷を踏んでしまうような事も生じる。

つまり、共感は人間の最大の幸福でもあるが、逆にそこに至る道のりには、大きなリスクも孕んでいるのだ。

 

何人かで食事をしている時に、「スベったらつまらない奴と思われる」と考え、喋る事自体を放棄する事が僕はよくあるが…

これは、リスクを取らずに共感を放棄している行為だ。

 

そうして、あらゆる共感のチャンスを放棄していくうちに、

「自分には共感を得る事は無理だ」と諦める、共感放棄人間が生まれていくのである。

 

それが、共感欲求の欠如に繋がる。

 

そして、そこから更に生まれるものが共感アンテナの欠如だ。

 

「この人とこんな共感が出来そうだ」というアンテナが一切立たなくなり、

「何を話せば良いのかわからない」「人と仲良くなり方が分からない」という状態が生まれてしまう。

 

このように共感欲求が薄れ、共感アンテナが立たなくなると、

新しく人と仲良くしたり、共感を得る事がなくなっていき、人はどんどん孤独になっていく。

もしくは、既に形成された心地よい人間関係の中だけでだけしか生きられず、新しい価値観に触れにくい人生を送ることになる。

 

◾️ハードル2:想いを形にする能力の欠如

 

このハードルは、ハードル1に比べるとだいぶ低いものだ。

なにせ、共感の欲求やアンテナが健全であれば、相手に対するコミュニケーションの種が出来ているので、後はそれを表現するだけで良いのだから。

 

例えば会議の場で話を振られた時、

「そもそも話したい事がない/話したくない」という状態で話を振られると、、本気で困窮するが、

「これを話したい」という状態であれば、仮に伝える術が下手だとしても、

少なくとも自分の気持ち、意見が伝わり、共感が生まれる可能性がある。

 

後は表現技法、伝え方の技術を学ぶことで、この課題は既にゴールが見えています。

 

◾️解決策

 

2つのハードルをあげたが、特に第一ステップの共感欲求、アンテナの欠如が大きな問題だとわかりました。

それではこの「共感欲求、アンテナの欠如」という根本的問題をどう解決すべきなのか?

 

それはまた次の記事で書いていきます。